被災記録5 ~家解体~ 住み続けた「わが家」との別れ

10月3日、ついに住み続けた自宅の解体が行われました。

御神酒と御塩でそれぞれの部屋にお礼とお別れの儀式を行い、心残りのないようにしました。

けれども、やはり私は解体に立ちあう勇気を持てませんでした。

解体当日は息子だけが家の最期を見とることとなり、以下の写真を撮って帰りました。


DSCF3036.jpg
我が家の見収め――40年近く住み続けた家、心の故郷。


DSCF3011.jpg
主人が亡くなってから増築し、レッスン室を設けた新居。生徒の指導にも自分の鍛練にも励んだ場所。


DSCF3040.jpg
家の解体が始まります。


DSCF3059.jpg
瓦は落ち、屋根は崩れ、壁は倒れ……突き抜けるような空の青さが残酷です。


DSCF3069.jpg
崩れ落ちる家に、良い思い出も悪い思い出も、全部つまっていました。


DSCF3115.jpg
今はもう、何も残っていません。


父が命を賭けて建てた家、私が再起するために帰った家。

すべてが土石流に奪われてしまいました。

憎い。本当に悔しい。

それが、家を失ってみて初めて知った強い思い。こうして写真を見ているだけでも、本当に辛いです。

でも、その思いをバネにして、立ち上がるしかない。

挫けず、めげず、諦めず、屈することなく。
新しい生活の再建を目指す。

「被災者だから」。そんな気持ちに負けてはいられません。

立ちあがって、前に進み続ける。

私が今できることを、精一杯やり抜く。命のある限り。

今はただ、それだけです。



(続く)

※写真などの無断転載はご遠慮ください。

スポンサーサイト

被災記録4 広島土砂災害 ~被災後~ 多くの方々に助けられて

被災当日、ニ階に避難して朝を迎えた私たち一家でしたが、家から逃げ出すことができたのはお昼前くらいでした。

父はめまいの持病が悪化して歩くこともままならず、消防の助けを借りてどうにか家からは出られました。しかしその後は歩いて避難所まで行かねばならず、弟に車で来れる場所まで来てもらった後、八木小学校に避難しました。

しかし、避難所に着いても安心はできませんでした。父の容体は悪くなるばかりで、共立病院の医師やDマットのチームに診断してもらっても、「われわれは薬を用意できませんので、かかりつけの病院まで取りに行って下さい」と言われまた。

父のかかりつけの病院は歩いて行ける場所ではなく、もちろん車もありません。まして災害交通規制下では、遠回りをして行かなければなりません。

「どうにもならない」と途方に暮れていたその時、避難所まで駆けつけて来て下さったのがオペラで共演した木下さんでした。

「大﨑さん、おじいちゃんに避難所生活は無理じゃ。ここおったら死んでしまうで。ウチに来んちゃい、病院にも連れていってやるけえ」

藁にもすがる思いで、私は木下さんの御厚意に甘え、御宅に避難させて頂くことになりました。

その後、木下さん宅の母屋に取りだせた荷物を運びこませて頂いて、本宅では寝床を貸して頂いただけでなく奥様のおいしいお料理もふるまって頂き、仮の住居が決まるまで実に一ヶ月半にわたって、お世話になりました。

父の体調も北広島の自然の中で次第に回復して行き、自分から散歩ができるまでになりました。

とても返すことはできない御恩を、木下様御夫妻から受けさせて頂きました。

木下様、本当に有り難うございました。お陰様で家族全員、元気で頑張ることができます。

DSC00839.jpg
木下さん御夫婦、そして愛犬のララ!!


そして被災した自宅の方では、荷物の運び出し・土砂の撤去ともに、親戚や友人、生徒さんたち、そしてボランティアの方々など、大変多くの方々に助けて頂きました。


ボランティア2
車庫の土砂の運び出しを手伝って下さった「江田島市社会福祉協議会」の皆様。


DSC00955.jpg
多大なご尽力により、車を出すことができました。


ボランティア1
家の中の泥を出して頂いた、ボランティアの皆様。


そして、写真を撮ることはできませんでしたが、他の多くのボランティアの方々にも助けて頂いたおかげで、思い残すことのないよう、家から荷物を取り出すことができました。

本当に、有難うございました。

荷物の運び出し、片づけを助けてくれた「ラルモニア・エテルナ」の代表・副代表の二人、「こどもミュージカル」のメンバーの方、そして軽トラで応援に駆けつけてくれた同級生のキクちゃんにも、お礼申し上げます。

他にも、父を抱えて川のような道路を渡って下さった消防隊員の方、泥塗れのグランドピアノを見て荷物の運び出しを助けて下さった自衛隊員の方、動きの鈍い市役所の中で精一杯対応して下さった市役所の方、仮住まいを見つけて下さった業者の方、私たちの体験を語り継いで下さるメディアの方々……


生まれて初めて体験した被災、「家の喪失」という大惨事の中で、こういった多くの人々の温かさ、心の美しさに触れることができたことで、私も「前向きに生きねば!」と勇気と元気とを頂きました。

尋常ならざる状況で体験した「人の優しさ」は、私の宝物として希望の糧にさせて頂きます。

重ね重ね、皆さま本当に有り難うございました。

心よりお礼申し上げます。


(続く)

※写真などの無断転載はご遠慮ください。

被災記録3 広島土砂災害 ~被災後~ 泥に埋もれたグランドピアノ

自宅に侵入した土石流は、かけがえのない財産を奪っていきました。


003.jpg
自宅のレッスン室――平成4年からここを教室にして、子どもたちにピアノを教えたり、生徒さん達に歌唱指導をしてきました。


006.jpg
泥に埋もれたグランドピアノ――


DSC00948.jpg
周りの泥を取り除いても、もう音楽を奏でることはできません。


DSC00949.jpg
土砂に浸かった楽譜たち――過去に出演したオペラのスコア、イタリア語の意味や発音、マエストロからの注意、全てを書きこんだ尊い楽譜、命の次に大切なものなのに……取り出すことさえできません。


DSC00942.jpg
レッスン室隣の待合室――台所やソファー、買ったばかりのキーボードやミュージカルの小道具がありましたが、跡形もありません。


DSC00935.jpg
崩壊寸前の自宅裏――傷だらけの柱一本でなんとか支えている状態。


DSCF2826.jpg
旧宅と新宅の間――ここに靴箱が三つありましたが、全て流されました。最初は首の高さまで泥があった場所です。


DSC00967.jpg
ニ階の自室――土石流に流されてきた大木が外から突き刺さったため、部屋に亀裂が生じ、床が崩れ落ちそうです。


DSCF2865.jpg
車庫ごと埋もれた愛車プリウス――ボランティアの方々の多大なご尽力により、泥をかき出して車を出すことができました。

もちろん車は全損、廃車です。(ボランティアの方々については、後日詳しく書かせて頂きます)。

余談ですが、被災後もすぐに仕事に復帰したかった為、これまで新車三台を購入してきたトヨタカローラ広島北支店に代車をお願いしたところ、「月11万なら貸してもいい」と言われました。

被災者を相手に、こんな対応???

と落胆していたところ、運良く代車を出して下さる会社があり、仕事にも復帰できました。


DSCF2933.jpg
裏から見たわが家――本来ここには家があり、この角度から自宅を見ることはできないはずでした。


8月20日の土石流は、私たち一家の世界を変えました。
ニ度と元通りにはできないほど一変させたのです。

こうして写真を見るだけで、胸が苦しくなり、語る言葉を失ってしまいます……


次回は、今回の被災で助けて頂いた人々、「人の優しさ・温かさ」について書きたいと思います。


(続く)

※写真などの無断転載はご遠慮ください。


被災記録2 広島土砂災害 ~被災後~ 土石流の爪痕

8月20日、ニ階へ逃げた後、「家が流されるのではないか」という不安におびえながら日が昇るのを待ちました。

あるいは本当に怖かったのは「土砂が侵入してきた」時ではなく、この「日が昇るのを待っていた」時間かもしれません。

「ドン!」「バン!」と家に何かが当たる音がたびたび鳴るし、山水の轟音と勢いも弱まらず、家にはしばしば微震が走り、暗闇の中で自分たちがどんな状況にあるのかも分からない。

怯えれば怯えるほど、時間は長く感じました。

その間、無事にニ階などへ逃げたご近所の方と懐中電灯で連絡をとったり、家族で避難している部屋に必要なものをかき集めたりすることで気を紛らわせました。

ただ「待つだけ」は耐えられませんでした。

被災のショックで寝込んでいる父に「頼むから動きまわらんでくれ」と何度か言われたのを覚えています。

そして午前五時過ぎ頃、ようやく日が昇りました。

しかし朝日が闇を追いやって行く中、光に照らされてあらわになったのは、土石流による破壊の爪痕でした。


DSCF2804.jpg
自宅前の道路(当日撮影)――土砂と岩で道路は埋まり、車が流されて来ています。

DSCF2800.jpg
玄関側の道路(当日撮影)――茶色い川は下り坂の道路で、山から流れてきた岩と大木が横線の道路を塞いでいます。

DSC00903.jpg
自宅の玄関側斜め上の光景(当日撮影)――家は崩れ、車は潰れ、道は閉ざされ――

DSCF2803.jpg
自宅のすぐ裏(当日撮影)――奥に見える赤茶色の瓦のお宅は、本来「見えないはず」の家です。


写真四枚目の手前にある巨大な岩のような塊は、隣のお宅と自宅に石垣による高低差があったため、その間(父が使っていた車庫)にはまっていました。

DSC00828.jpg
お隣と自宅の間で何とか止まった巨大な岩。

もしこの岩がこの高低差のある空間にはまっていなければ、わが家の一階はこの岩に薙ぎ払われ、当然ニ階も家も倒壊していたと思います。そうなれば、一家全員無事であったなど到底考えられません。恐らく死んでいたでしょう。

家がどうにか倒れなかったのは、不幸中の幸いにも、この岩が止まってくれたおかげでした。

そしてこの岩、どのくらいの大きさかと言うと・・・・・・

030.jpg
巨大な「かたまり」――自衛隊または民間業者の方が重機で撤去しました。

軽自動車か、あるいは普通車くらいにはなるのではないかという大きさ。6トン近い重さだったという話も聞きました。

しかし、この岩のような物体は、実際には岩ではありません。写真を拡大して見ると分かりますが、鉄線のようなものが入っています。岩ではなく巨大なコンクリートの塊なのです。

konnkuri-to.jpg

恐らく、これは砂防堤の一部だと思われます。
本来人の命を守るために造られたものが、家々を貫き、ここまで流されてきたのです。

このコンクリートの塊がもし自宅を貫いていたら、恐らく自宅の下にある家々も倒壊していたと思います。

その事実を知った時、「自分たちが生きていたことは奇跡なんだ」と、はっきり知りました。

DSC00925.jpg
国道から撮った「爪痕」(後日撮影)――この高さから、八木四丁目は土石流に襲われたのです。

ここで育ち、ここで生き、ずっと眺めたきた「阿武山」。
その見たこともない姿――

日常は突然崩壊することを、自然災害の恐ろしさを、8月20日の朝、私たちは目の当たりにしました。


そして土石流は、家の中にも容赦なく侵入し、全てを奪っていったのです。


(続く)

※写真などの無断転載はご遠慮ください。

被災記録1 広島土砂災害 ~初日~ 九死に一生を得て

8月19日の夜、途方もない量の雨が降り、夜空の闇は稲光で引き裂かれていました。

私は自宅のニ階にある寝室にいましたが、雨の轟音と絶え間ない稲妻の光で眠ることもできず、懐中電灯をかたわらに置いて横になっていました。「避難指示が出ているのではないか」と何度もテレビを付けていましたが、避難指示が出ることはありませんでした。

そして8月20日の午前3時頃、停電。

慌てて飛び起きた私は、懐中電灯を持って寝室から廊下へ出ました。息子も心配して寝室から出ており、「避難した方がいいかもしれない」と話した、次の瞬間―――

ドーン、バリバリバリ。

今まで聞いたこともないような、衝突音――家の引き裂かれる音。

瞬時に山が崩れたと直感し、「家が流される!!」とパニックに陥りました。

生まれてはじめて死を覚悟した瞬間でした。

しかし、一階で寝ている父の身を案じてなんとか平静を取り戻し、息子と共に一階に駆けおりました。

そこで見た光景に、愕然としました。台所は土砂で覆われ、裏の戸は家と家の間に侵入した土砂が首の高さまで積もったことで開かなくなり、外には出られない状態。


土砂の侵入
土砂(泥)の侵入――ニ階階段から一階を撮影。首の高さまで溜まった場所もありました。


逃げ道を求めて玄関を開けると、玄関のすぐ外はまっ茶色の水が激しく流れ込んできており、さらにその奥にある下り坂の道路は、滝のような勢いで流れる川と化していました。道路のコンクリートの色はもはや見えず、人が歩いて渡るのは不可能でした。


一階玄関
玄関(日が昇ってから撮影)――侵入した水は玄関の戸を押し出す勢いでした。奥に写っている茶色い川は道路です。


家に閉じ込められた。

一刻も早く父を助けだして、ニ階へ逃げなければ。

父の寝室の引き戸を開こうとしますが、開きません。戸を壊そうとモップとほうきを持ってきて息子といっしょに引き戸を突きましたが、開いた穴からは土砂と水が出てきます。すでに父の寝室には大量の土砂が流れ込んでいたのです。


一階寝室引き戸
父の寝室の引き戸(後日撮影)――戸を壊そうとモップの先で突くと、穴から土砂と水が……


「お父さん!!」。父を呼んで戸を叩きますが、返事はありません。川のように流れる土砂と山水の轟音で、そばにいる息子と話すことさえままならない状況です。それでも必死で叫び、戸をたたきました。

すると、父の寝室の隣にある書斎からドンドンドンとたたき返す音が。父は生きていました。急いで書斎の引き戸を開こうとしますが、やはりそちらも開きません。

「書斎の窓を割ろう!」。息子と一緒に玄関から外へ出て書斎の窓に向かいましたが、そこも水が凄い勢いで流れ込んできており、命掛けの作業でした。

しかもその時には稲妻は止んでおり、懐中電灯だけが唯一の光源です。真っ暗やみの中、何をやるにも作業する人と光を照らす人の二人一組でやる必要がありました。

書斎の窓を見ると、そこには土砂に流された棚やベッドに窓際まで追い詰められた父が立っていました。


一階書斎・寝室
父の書斎(後日撮影)――全てが土石流に流されています。奥に写っているのは自衛隊員の方。


土砂と水は書斎に侵入し続けており、絶望的な状態ではありましたが、父が大きな傷もなく生きていたことにまずはホッとしました。

土砂と水の逃げ道を作るため、息子が窓の下側をほうきで割りました。そして窓の内側にあるふすまを壊し、窓を補強していた木の枠を壊します。そうすることで、なんとか人一人が滑り出せるだけの隙間ができました。

私は息子と交代し、窓の隙間から父の体を外へ引き出しました。


書斎の窓
書斎の窓(後日撮影)――窓と瓦礫の隙間から、かろうじて父を引っ張り出せました。


父を無事に救い出せたあの時のことは、一生忘れることはないでしょう。

最初に父をニ階へのぼらせて、息子と私は食料や水、衣服などを持てるだけ持ってからニ階へ逃げました。そうしている間も、台所からは土砂と水がつぎつぎと流れ込んできており、一階がどうなるかはまだ分からない状況でした。

事実、朝を迎えた時、私たち一家は「家が崩れなかったのは偶然の結果に過ぎなかった」ということを、ひとつの光景として目の当たりにすることとなったのです。

それは、九死に一生を得た夜でした。


(続く)

※写真などの無断転載はご遠慮ください。

カテゴリ

検索フォーム

リンク

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: